暗闇を照らす強い光には闇が群がります。
日月神示(ひつきしんじ)さえお金儲けの道具にされるのです。
お金を儲ける事が悪いと言っているのではありません。
お金持ちでもその豊かさを人に分け与える精神性が高い人はいます。
ただ大金が動くと人は欲が深くなり、闇に傾く可能性が高いというだけです。
人である以上霞を食べて生きていける訳ではありません。
生活するために報酬を得るのは当然でしょう。
スピリチュアル能力も他の職業と同じで、能力を提供してそれに見合った対価を得るのは普通の事です。
ただスピリチュアル能力は心のあり方、つまり本人の精神性の高さで繋がる先が変化します。
だから闇を撒き散らさ無いために、特に注意が必要な職業なのです。
スピリチュアルな分野に限った事ではありません。
どんな仕事でもそうです。
貴方はどんな気持ちで働いていますか?
同じ行動でも心がけ次第で精神性は徐々に変わっていきます。
貴方にお金を稼いで誰かを満たしたい、稼いだお金で誰かを喜ばせたいという気持ちがあるならば大丈夫です。
もし貴方にそういう相手がいない場合、仕事で人の役に立っているという社会への貢献心、つまり他者への愛があるなら問題ないでしょう。
仕事を始めた時や精神状態が良い時はそういう気持ちがある人が多いのです。
でも人の心というものは環境が悪かったり、波動が低い人に囲まれている場合、その影響を受けて自覚なく汚れていくものです。
だから自分に愛があるのかチェックして、光を保つ必要があるのです。
気をつけないと人間は利益ばかり追求したり、自分の事しか考えず人に押し付けたりしがちです。
ただお金を稼ぐ事だけが目的になっていませんか?
仕事で忙しすぎたり責任感やしがらみが強い人は注意が必要です。
初心を忘れバランスを崩し、次第に闇に傾いていく人が少なからずいます。
気をつけないと自分が贅沢したいだけになったり、やらなければいけないから仕方無く働く形になります。
もし自分がそうなっている場合、自分の心の持ち方を見直す必要があります。
貴方が仕事をする事で必ず誰かの役に立っているのです。
貴方がいることで他の誰かを幸せにしている事を思い出してください。
誰かを養っている場合、貴方はその人を幸せにしています。
そういう対象がいない場合は貴方自身を満たし幸せにしているのです。
普通に暮らしていても仕事が生きがいであり、波動の高さを保てるのが理想です。
でも残念ながら今の社会は酷使され、人の心が荒むように出来ています。
人の優しさを利用して仕事を押し付ける人がいたり、時間に追われて生きている人が多いのです。
自分を優先して他人に我慢させている、他人を大切にするあまり自分が我慢している。
どちらかに偏っていないか分析してみてください。
偏っている場合はバランスが同じくらいになるように、自分の行動を変えて調整してください。
例え仕事先ではバランスがとれていても、家庭内では相手ばかり優先したり、自分ばかり優先したりしている事があります。
人は無意識に相手によって自分のどのような面を見せるか変えているのです。
一度色々な人との関係性を見直してみるとよいでしょう。
生きていれば常に状況は変化します。
だから誰でも時々自分の心のあり方をチェックする必要があるのです。
私も例外ではなく、皆さんと同じです。
子供の頃からハイヤーセルフに純粋さを保つように言われてきました。
でもそれが難しい世の中なので、常に自分の状態や心のあり方をチェックしています。
ずっと続けているので、それがすっかり今では習慣になっています。
スピリチュアル能力は誰でも持っているのです。
世間ではテレパシーや霊視、目に見えない存在とのやり取り、予言等不思議な物だけが注目されます。
こういうものばかりが、スピリチュアル能力だと勘違いされていますがそうではありません。
殆どの人が直感やインスピレーションが強くなるという形で能力が開花するのです。
最近予言者が増えています。
予言の役割と危険性についてお話ししましょう。
災害など具体的に悪い未来を伝えれば、恐怖心を煽りそのエネルギーで現実化してしまう危険があります。
でも予めこうなる可能性があると注意することで、軽減させたり回避出来る効果もあるのです。
だから高い次元からくる予言はリスクを回避するために、事実と少し内容を変えたり、時期などを知らせずぼやかして伝えてきます。
本物の預言者はそのリスクを考え、上手く加減ができる人だと思います。
本人が望むか望まないかは関係なく、上の次元の存在が適任者を選び、伝えてくるものなのです。
こちらからビジネスだからと自分の都合で呼び出して予言しろと要求するものではありません。
そういう動機で呼び出せるのは次元の低い存在か、不安や恐怖心を煽ろうとする闇になります。
今は4次元の世界で霊的なものと繋がりやすくなっています。
だからそういう人はどんどん増えるでしょう。
最初は光に繋がっていたのに、いつの間にか繋がる先が闇になる場合もあります。
教祖や著名人の場合沢山の人が頼ってきます。
人にエネルギーを与えすぎてエネルギーが枯渇し、波動が下がる人も中にはいるのです。
でも本人はそれに気がつかず、自分が光と繋がっていると信じきっています。
本人に悪意がなく良かれと思って続けている事が多いのです。
役者のように入り込み完璧になりきっている場合は、闇が強くなっても不思議と人を引きよせるのです。
私ももしエネルギーの見分けがつかなければ信じると思います。
目に見えない存在は光と闇、常にどちらとも繋がる可能性があります。
だから常に疑って観察し、それが闇じゃないか見分ける必要があります。
繋がっている相手のエネルギーで光なのか闇なのか判断できない人の方が圧倒的に多いと思います。
正体がわからないまま相手が神や天使を名乗ればそのまま信じるのです。
その正体は低級霊だったり動物霊の場合もあります。
例え本当に神や天使だとしても光が強いものも闇に染まった存在も両方いるのです。
次元も高いものから人とあまり変わらないものまで色々います。
大抵は皆が見ているから、有名だから大丈夫だろうと思ってしまいます。
各々が自分に必要なのか要らないのか、情報を取捨選択する必要があるのです。
私は光か闇かはエネルギーを感じて判断が出来ます。
だから強い光を感じる相手にだけチャンネルを合わせ、受け取るようにしています。
高次元にチャンネルが合っていると低級霊の姿などは見えず、メッセージも受け取れません。
私が人に意識を向けている時は、その人に関係する闇が強ければ感じ取る事ができます。
眠っている無防備な時に闇が寄ってきて危険な場合は、ハイヤーセルフに起こされてどこに闇がいるか見せられます。
闇と光は別のものと捉えている人も多いのではないでしょうか?
でも人は肉体がある限り100%光という事はなく、誰でも波動の低い部分はあるのです。
人の波動は一定ではなく常に上がったり下がったりしています。
普段光が強い人でも、辛い事があったり過酷な状況なら、波動が下がりバランスが闇に傾くものです。
そのまま思考がネガティブパターンに陥らなければ、立て直して光りを強めることは出来ます。
でも自分を含め愛する人でさえも、闇に飲まれる可能性があるのは事実です。
なぜ光が闇になってしまうかは劣等感や罪悪感を抱いていたり、カルマが重すぎて潰れてしまったり、エネルギーが枯渇したり、闇を跳ね除ける強さや愛がまだ身についてないなど色々な要因があります。
闇に飲まれたのがときには大事な家族や、愛する人や友人だという事も多いのではないかと思います。
私が出会った人達も深く傷ついた経験をひきずってネガティブだったり、今も辛い状態でポジティブでいられなかったり、闇が強い人は多いのです。
彼らも内側には光がまだともっていて、闇から抜け出せずに葛藤しています。
私は闇が多い相手でも、彼らの良い所を見つけて仲良くしてきました。
彼らも最初は純粋でまっすぐだったのです。
傷ついた経験がもとで心を閉ざしたり、また傷つきたくないから歪んでしまったりしただけです。
そのまま立ち直れず闇から抜け出せず、苦しみながら生きているのです。
闇が強くなり本人では変えようがなかったり、どう闇から抜け出せばいいかわからなくなってる事も多いでしょう。
闇に囚われるのはそれぞれ違う理由があります。
大きなカルマを背負っていたり、闇が一斉に身体に入り込みエネルギーが枯渇したり、やむを得ない事情がある事も多いのです。
彼らも好きで闇に落ちたわけではありません。
闇が強い人は特別なわけでも、私たちと何かが大きく違うわけではありません。
彼らもまた私たちと何も変わらない、普通の人達なのです。
貴方はそれでも闇を排除するべきもの、敵とみなしますか?
私は一番救いの手を差し伸べられなければならないのは、闇に引っ張られている彼らではないかと思います。
みんな学校で点数をつけられ、受験で点数をつけられ、あれが出来ない、これが出来ないと否定されながら育ちます。
親は自分の理想の姿を子供に押し付け、子供はその期待に応える為自分を歪めるのです。
世間では収入が多くて結婚して子供がいれば幸せだと幸せの形を押し付けられます。
大抵の人が誰かに評価され否定された経験を持ち、自分らしく生きる事を許されません。
だから自分を否定し、ありのままの自分では何かがかけていると思い込む人がとても多いのです。
自分にかけている所があると思っている人は、その穴をお金や物や社会的地位を得て人に評価される事で必死で埋めようとするのでしょう。
人はそれぞれ個性があり、好きな事も価値観も違います。
だから幸せの形もそれぞれ違って当然です。
闇側と言われる人達もただ他人軸で、古い価値観に縛られて踊らされているだけなのだと思います。
彼らもある意味闇の多い世界の操り人形で犠牲者なのかもしれません。
人というものはそうやって自分に色々価値をつける事で安心したいのです。
人は弱くて危うくて愚かで健気で未熟です。
だけど私はとても愛しい存在だと思います。
誰かに否定されても胸を張って「これが私です」と言える人が増えると良いなと思います。
私は闇に対する嫌悪感は持っていません。
世間に広まっている闇対光という対立関係は変えていく必要があると思ってます。
もちろん闇に従う必要はないですし、もし自分の負担になるなら闇と距離はとるべきだと思います。
闇もまた光なのだから、切り捨てて排除して終わりという単純なものではないのです。
その概念を壊さなければ闇を光へ変える事も、本当の意味で光と闇が統合するのも無理だと思うのです。
私は人に光を分けて闇を中和するのと、闇を光へ変える考え方を広める事で変えていきたいと思っています。
できる限り、可能性の高い人から光の方へ引っ張っていくつもりです。
大天使ミカエルには闇の深い者とは波動が下がるから関係を切れと言われてきました。
でも私には下がった波動を戻せるくらいの、闇も含め丸ごと包み込む大きな愛があります。
今は大天使ミカエルも「お前ならできるだろう。好きなようにやれ。」と言ってくれています。