人に心から優しくするのは、自分が幸せで安全だから出来る事です。
自分が追い詰められて辛い時は、他人の幸せを心の底から喜べません。
優しい言葉をかける事さえ嘘になってしまう気がして使えなくなります。
生き延びるのに必死で歯を食いしばって頑張る人にとっては、前向きで明るい人がもてはやされる姿は目障りなものです。
自分の近くに自分の思い描く理想の姿で生きている人がいる場合、自分はそうできないと比較して自分を責めて傷つくものです。
私は前から前向きに生きる自分に向けられる嫉妬や羨望に気がついていました。
私も特別なわけではなく、過酷な状況にある時には他人と比べ自分を卑下しそうになることは数えきれないほどありました。
私は今まで自己肯定感が下がりそうな時は自分を励ましそのままの自分を受け入れ愛を注いできました。
気持ちをうまく切り替えて闇を光へ変えてきただけです。
でもここ数年は極限状態まで追い詰められ、落ちこんでは気持ちを立て直すの繰り返しでした。
だから自分で浮上できず闇に飲まれてしまう人の気持ちがよく分かるようになりました。
ツインレイ統合前の過酷さは自らが闇に落ちて、闇を抱える人の気持ちを味わい理解する為に起こります。
人は自分と同じか自分より優れていると見なした人には余裕が無くなってしまいます。
その人のことは好きだけど劣等感を持たされるから一緒に居るのが辛いと言う複雑な感情になるようです。
私は今まで仲良くなった人をもやもやさせてきたのだろうなと思いました。
誰かが綺麗で誰かが醜いなんて事はありません。
みんな同じ人間です。
過酷な状態になれば誰でも嫉妬、悲しみ、何故自分がこんな酷い目にあわなければいけないんだという憤りを感じます。
我慢をし続ければネガティブな感情が溜まり人は闇に染まってしまうものです。
蟻地獄に落とされた人は誰でももがき苦しみ、自分の弱さや醜さに心を痛めます。
特別な人なんて誰もいません。
自分は特別で闇などないそう思っている人がいるならば、それは光側からしか物事を見た事がないからです。
大して苦労せず恵まれた環境で人に守られカルマなしで生きていれば、波動の高さなど誰でも保つことができます。
闇の強い人を見下したり敵対心を燃やす人がいます。
例え闇の強い人でもその人の感じている事や抱えている事は本人にしか分かりません。
ほんの一部分だけを見てわかったような気になり、その人を裁く権利は誰にもないのです。
自分とは関係のない他人事だと思っている浅はかな人は、優越感を感じたかったり自分が正しいと証明したいので平気で人を追い詰めたり傷つける事をします。
その行動でその人がどれだけ追い詰められるか傷つけられるか、考える事が出来るのが思慮深い人間なのです。
私は今なら人を否定して自分の所まで下げようとしたり、誰かに目を背けて逃げたくなる気持ちもよくわかります。
でもそんな事をしても自分の波動を余計に下げ、そういう事をされた相手が嫌な思いをするだけです。
人と比較しモヤモヤするのはエゴを持つ人間ならば当たり前にもつ感情です。
私はそんな自分を否定しません。
闇も光も全部私だからです。
どんな私も受け入れて愛を注いで源の光に変えていきます。
それが真の統合なのです。
私は子供の頃は自分の感情に蓋をして生きてきました
1人でも平気なフリ
無視されても傷ついてないフリ
具合が悪くても痛くても大丈夫なフリ
辛くても辛くないフリ
親は私の弱さを否定し受け入れてくれませんでした。
だから誰もそのままの私を受け入れてくれないと思い込んでいたのです。
泣きたくても人前では絶対に泣きませんでした。
でもみんなが寝たあとで一人で泣いてました。
私は自分でも信じられないくらい弱い人間でした。
体力も半分もなくてみんなが普通に出来ることが出来ません。
どこかが常に痛くて、身体も重くて生きているだけで辛かったのです。
私が弱さを見せるとみんな心配して波動を下げました。
だからずっと嘘で塗り固めて笑っていました。
強い私じゃないとダメだと思い、必死にすべてを抱え込んで一人で生きてきました。
人はこうありたいという理想の自分を思い描きます。
でもそうなれない自分を否定したり葛藤しながらそこを目指し歩き続けているのです。
そんな裏側の辛さを知らず、人は自分に見えている良い部分だけを見て人を妬むのです。
白鳥が優雅に泳いでいても、水の中では足をバタバタするのと同じです。
誰でも裏では何かしら抱えているものや葛藤があるものです。
自分から見えない相手の裏の事情や隠された気持ちを見ようともしないで、狭い視野で誰が上だ下だと争うのは非常に馬鹿げています。
劣等感を持ったり人と比較して自己嫌悪を持つのは本能です。
自分を傷つけるのは他人ではなく、自分自身なのです。
人間は自分が価値がないと思い、それを繰り返したあげく絶望して命を落とすのが怖いのです。
だからエゴは生存本能で無意識に相手の余裕を無くしたり価値を下げる行動をとろうとします。
自分と同じ状態に他の人も引きずり込み仲間にしようとするのです。
でもその歪みに本人は気が付きません。
アセンションするのには本能も把握し自分の未熟さを受け入れた上で、自分の都合の悪いことも全部認める強さが要ります。
少なからず相手の持つ未熟さは誰にでも要素があるのです。
過去世で同じ事をしたかもしれないですし、転生を繰り返せば自分ももしかしたら同じ事をするかもしれません。
ただ今の自分の自分はしていないそれだけの事です。
私は人に対して心を閉ざす必要はありませんでした。
心を開き自分も他人もありのままの姿を受け入れれば、同じように生きている人と出会うようになりました。
私を否定し受け入れない人は確かに沢山います。
でも気がつかなかっただけで分かってくれる人も沢山いるのです。
お互いの弱さを分かち合い、助け合い人と力を合わせて進む喜びがある事を知りました。
私はどんな自分も受けいれ、肉体の持つ弱さ、未熟さ、ネガティブな感情にも愛を注いで光に変えて生きていきます。
私は私である事を誇って生きていこうと思います。
だから貴方は貴方である事を誇りに思って胸を張って生きてください。